愛犬オスカーの死
人のペットの話は、赤子も笑う、と申しますが、日記がわりに忘れぬよう、書き留めたいと思います。ご容赦下さい。
あと1ヶ月で16歳を迎えようとしていた我が家の愛犬オスカーは、2020年2月20日未明に、15歳と11ヶ月の生涯を閉じました。二年前から治療していた心臓病の発作による突然の最期でした。
前日の午前中に近くのウィラメッテ川沿のエルクロック庭園に散歩に生きました。車をおりて一緒に歩こうとした時、オスカーは腰が砕けるように引っ繰り返り、容易に立ち上がることができず、3〜4回、腰砕けにひっくり返りました。直ぐに助け起こしましたが、もともと老化で足腰が弱くなっていたことに加え、道路が雨上がりでデコボコだったため、バランスを崩したのだろうと思っていましたが、今思えば、心臓発作の前兆だったのかもしれません。
自宅に戻り、普通に過ごしていましたし、夕方の散歩も普通にしました。しかし帰ってから、夕御飯を全く食べません。夜になっても食べませんし、ソファーでいつも寝っころがっているに、横になろうとしません。今思えば、横になると心臓が苦しくなるからだったのかと思います。ずっとソファーにお座りの状態で、夜が更けても横になろうとしませんでした。私は徹夜で看病し、朝一番でかかりつけの獣医に診てもらうつもりでいました。夜の10時ごろ、オスカーはしきりに私の存在を確かめようとするのか、私のほうを見つめますが、目線が私の顔ではなく、私の背後を見詰めている様なのです。「オスカー、パパはココだよ」というのですが、私の顔では無く、背後を見つめるのです。今思い返せば、ひょっとするとすでに死期が迫りつつあり、視野が狭く、暗くなりつつあったのかも知れません。
オスカーは夜が更けても、眠くなるのか疲れるのか、ソファーの肘掛けのところにアゴを乗せ、寝ようとしますが、やはり心臓が苦しくなるのか、間も無く元のお座りになります。
呼吸が次第に粗くなり、心臓が不整脈らしくパクパクしています。
私たちは、ひたすら早く夜が明けるのを祈るばかりでした。
夜中の3時ごろ、私は隣りの部屋にあるトイレに立ちました。するとオスカーは仁王立ちになって、ワンワンと怒り狂いました。「俺をおいで何処に行く!」といった感じです。
二階で仮眠を取っていた家人もビックリして降りてきました。それくらい大声だったのです。それまで苦しく喘いでいたはずが、どこからこんな元気な声が???と思うほど大きな叫びだったのです。思えば、これがオスカーの最期の雄叫びでした。
絶えられずオスカーは顎を出してソファーの座布団に置き、口からヨダレをわずかにだすようになりました。気が付けば、若干の血が薄く混じっています。時刻は明け方の5時半、あと1時間半したら獣医に診てもらえる、と祈りました。
その時、喘いでいたオスカーが突如として静かになりました。家人が抱擁し、「息をしてないみたい」と言います。私はオスカーの胸に耳を当てました。何も音もせず、動きもありません。
私達夫婦に看取られて、抱かれて、オスカーは虹の橋を渡り始めました。
朝一番で近くの掛かりつけの獣医に行き、火葬を依頼し、数日後、可愛い木箱に入った遺灰と足形と毛髪の一部を貰い、大きな写真と共にオスカーの大好きだったスツールの上に飾っています。
まだそこに居るようで、それくらい静かで、吠えず、言うことをよく聞く、手の掛からない賢い子でした。私たちの父母はじめ家族の遺影が数枚飾ってありますが、それらを隅に纏められ、オスカーの遺影や遺品がほとんどの場所を占め、あの世の父母たちに叱られるほど、依怙贔屓をしています。合掌
(2020年3月記)